いやしの電話メール相談


信仰からのお答え3


9 試練だなんて、神がいるならどうしてわたしをこんなに苦しめるのだ。そんな神はいらない。
 イエスもご存知の通り、十字架刑という最もむごく苦しい刑を受け、苦痛のうちに亡くなりました。理不尽としかいえない死に至る苦しみを受けられたのです。あなたの理不尽といえる苦しみもお分かりです。そしてすぐにはお分かりいただけないかもしれませんが、イエスはこの死を甘んじて受ける事で新しい命を受け取って復活されたのです。理不尽な苦しみを私たちが受け入れられないのはなぜでしょう。自分の考えからいって納得出来ないからでしょう。でも人間の考えには限界があることを認めましょう。この世は思いもよらない事で出来上がっています。苦しみを乗り越えた後から、あの苦しみはあんなことだったのかと気づかされる事もあります。自分の考えにこだわる事を捨て、あなたのこれからの一生を見渡した上での神様のご配慮を信頼して、その苦しみを受け入れ乗り越えましょう。あなたに乗り越えられない試練を神は与えられないと聖書にあります。苦しみを受け入れると、きっと新しい生き方が出来ます。そして成長して段々神に近づくことが出来るのです。なお老いてゆく上での孤独と絶望は、老いることでわかることを悟らせ、何をするかよりどんな風に丁寧に生きることが大切かを実感させる、神の贈り物かもしれません。
そして苦しみに耐えるのは、私たちのこの世の生が終わっても、次の苦しみのない世(天国)に生きる事が出来るとの確かな希望があるからですし、神のいつくしみを信じるからです。
10 つらいことばかり、何を楽しみに生きるのか。生きがいとは
 自分が生きていてよかったなと感じるのは、自分が関わっている人間関係の中で理解され、愛し愛される時と言われています。つまり誰かのために生きる時、自分の生を充実したものに出来ます。それが生きがいを感じられるときです。キリストは隣人を愛しなさいと言われました。周りの人を本当に大切にすることが大切で、その中に喜びが隠れているのです。
11 世話になってばかり。私がいなければみんな幸せになる。
 他人のお世話になってよいのです。神様は社会貢献しなさいとは言われていません。神様を信頼して、自分と他の人を本当に大切にしなさいとだけ命じています。だからあなたが思うようないわゆる仕事が出来なくとも、あなたはそのままでいいのです。たとえばあなたが病気でもう仕事が出来ないとします。それでも世話してくれる人に、感謝の気持ちを思うだけでなく口に出来たなら、あなたは人を幸せにするという立派な仕事をした事になります。あなたは私たちの共同体にとって、愛を与えることが出来る有益な人なのです。また今日1日の目的を、○○を整理しよう、○○さんに手紙を書こうといった小さなことにおいて、それが出来る満足と幸福をお考えください。そして、あなたの周りの人を大切にする事を考え、安心して与えられた人生を生き抜く事です。
12 リストカットや自殺を思うことがいつもいつもだ。
 リストカットをやめられないのは、死にたくなるほどのあなたの苦しさを周りの人に知ってほしいから、そしてご自分を責めておられるからでしょうか。リストカットは痛い、あとから面倒なこと。あなたのつらさは電話相談か神様に話してください。黙っておられる神はあなたを大切に思っておられます。そして薄暗い心のくぼ地から抜け出すよう、先に書いたように「ありがとう」など挨拶の言葉を周りの方と交わせるように、努力を始めましょう。
 自殺はもう死ぬ事でしかこの苦しみから逃れる事はできないとあきらめての思いでしょうか。自殺は苦しいこと。死ぬと楽になるとお考えですか。死ぬとその後はどんな風になるとお考えですか。全部なくなるのですか。あなたがこの世で培ったこと、受けてきた好意、全部捨てるのですか。あなたへの他の方の思いも捨て、思い出してもらうことも拒絶されるのですか。あなたの死ぬほどの苦しみは、時間がたち考えや状況が変わってゆき、やがて変化するとは考えられませんか。あなたには生きる道があるのです。死ぬことはないのです。あなたを大切に思いあなたの死を悲しむ人は、本当にいないのですか。例えばおばあちゃんはどうですか。誰も思いつかなくても、少なくともここに一人私がいます。そして神様も本当に残念に思っています。神様のあなたを本当に大切に思う心を信じる事ができれば、あなたは死ななくとも済みます。あなたの大変な苦しみについては、試練だなんて・・の項を繰り返します、死への衝動の実行をひとまず延期してください。

以上、電話相談でお受けした悩み事について、信徒としてどう考えるかを記してみました。カトリック教会の公式見解ではありません。お電話やメールではもう少し深くご一緒に考えられるかと思います。そして何よりあなたは私にあなたの苦しさを伝え理解させてください。あなたは大切な人で、私はあなたのことを心配しているからです。お電話やメールであなたの苦しみとそれに対する思いを深く振り返る事が出来たら、その悩みに対する思い・こだわりを全て神様にお預けする形で捨て去りましょう。まっさらな気持ちになるのです。そうしてそこに神様の慈しみを受け入れましょう。神様の慈しみの中に神を信頼して生きることが信仰と思います。そうすれば自由に生き生きと生きることが出来ます。信仰者の思いにご興味がある方、お話をして見ましょう。しかしカトリックの信仰は数時間程度でわかるものではありません。冒頭で申し上げましたように、次はカトリック教会をお尋ねください。
 なお次の「自殺はダメなわけ」も自殺を考えてはいない方もご覧ください。今までの繰り返しもありますが、全体的なまとめを多少表現を変えて記しています。